大仁田厚の現在は?若い頃に比べて顔が変わったのは電流爆破のせい?画像

大仁田厚さんは現在どうしてますか? 現役・引退を繰り返して何がなんだか判らないけど…… 

大仁田厚さんといえば、無論多くの方々が知っているプロレスラー!ですよね。1973年、日本一周徒歩旅行を断念後、ジャイアント馬場に憧れ、全日本プロレスに「新弟子第一号」として入門したそうです。

【プロレスラーとしての大仁田厚さん】

無論、多くの方々が、大仁田厚さんをプロレスラーとして知っているはずです。彼も、もう昔のことになりますが、1974年4月14日の後楽園ホール大会における佐藤昭雄戦でデビューすることになります。1981年に海外修業に出て、ミスター・オーニタ(Mr. Onita)のリングネームでテネシー州メンフィスのCWAに参戦することになります。

凱旋帰国した大仁田厚さんは、爆発的人気のあったタイガーマスクに対抗して、ジュニア戦線のチャンピオンとして活躍することになります。4次元殺法のような華麗さ、アクロバティックは、大仁田厚さんに見ることは出来ませんが、大仁田厚さんの魅力はといえば、無骨で荒々しく感情剥き出しなスタイルという点ではないでしょうか。

大仁田厚さんは、炎の稲妻と言われて、人気が高まり、馬場やジャンボ鶴田、天龍源一郎に続く全日第4の男として注目されていたのです。しかし、大仁田厚さんは、左膝蓋骨粉砕骨折をし、一度復帰するものの、馬場夫妻の勧告により1984年12月2日引退を賭けてマイティ井上と闘うものの、敗退をして、1985年1月3日に後楽園ホールで引退式を行うことになります。

【その後の大仁田厚さんは……】

大仁田厚さんは、その後、タレントに転向し、小松政夫に弟子入りしたこともあります。しかし、タレントとして長続きもあまりすることがなく、彼は事業家も目指していたようですね。しかし、それも成功せず、借金まみれになってしまったと言います。そして、全財産5万円を元手に自らの団体FMWを旗揚げすることになります。

大仁田厚さんと言えば、やっぱりノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチではないでしょうか。デスマッチの教祖こそが、大仁田厚さんのことなのです。

【1994年5月5日の川崎球場大会のメインイベントで天龍源一郎と対戦するも敗北】

1994年5月5日の川崎球場大会のメインイベントで天龍源一郎と対戦するも敗北し、またまた引退を余儀なくされることになります。
そういえば、グレート・ニタっていましたよね。グレート・ニタも大仁田厚さんのことです。1999年8月28日、神宮球場においてムタ対ニタによる、ノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチが再び行われることになります。ニタは敗北することになりますが、そのとき、ニタの葬式が行われて、そこに、大仁田厚さんが姿を見せ、棺桶の前で嗚咽したとのことです。

しかし、ニタは再び魔界から帰ってきたとか……、はっきりと何がなんだか判らないです。そして、2016年8月26日には、ファイヤープロレスリングを旗揚しますが、さよなら大仁田、さよなら電流爆破で、再び現役引退の意向を表明したようです。

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