“マラソン選手のスター、瀬古利彦さん
5キロ程度から、フルマラソンの42キロまで参加する人も増えているようです。そんなマラソンに、興味を持つようになったと言われる選手がいます。1980年代、日本の選手として活躍した瀬古 利彦さんは、マラソン界のブームを作った先駆者になります。彼の凄さは、見た目からスピードがある走りを感じますが、安定感が持ち味でした。出場し大会は、日本人の多くが期待するなど憧れる人も多かったです。
現在は、男子より女子選手が注目されていますが、当時は、男子のレベルが面白いと言われました。その中で、瀬古 利彦さんは、日本屈指のランナーとして実力を発揮しています。国内の大会で優勝する以外に、外国の大会も数回優勝するなど世界の瀬古と評価されます。大会に出場する強者ライバルもいましたが、瀬古さんは対抗できる唯一の日本人です。また、1980年の福岡国際マラソンでは、日本人選手として初めて2時間10分を切る事になります。
オリンピックは、意外と苦手な瀬古さん
しかし、瀬古さんにも不運があり、出場した2度のオリンピックは優勝する事が出来ませんでした。
週刊誌などは、「瀬古は内弁慶だ」「精神的に弱い日本人の代表ランナー」と書かれてしまいます。当時、本人もショックを受けていて日本に帰る事がつらかったようです。そんな瀬古さんのファンは、走っている姿と所属会社のエスビー文字が心に焼き付いています。現在は、指導者になり世界で通用する選手を育てているので、マラソン日本を復活させて欲しいです。”