荒木大輔の現在の住まいは?かつら疑惑も?画像

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“古くは王貞治、近年では斉藤祐樹や清宮幸太郎ら幾多のスター選手を生み出してきた早稲田実業。その中でもアイドル的な人気を誇り、時代を彩った最大のスターが荒木大輔でした。端正なマスクで女性に大人気で、追っかけギャルも登場し「大輔フィーバー」という言葉が生まれたほどでした。早実人気も一気に高まり、多くの野球少年が荒木に憧れました。この時期に生まれた男の子は大輔という名前が多いそうですから、その人気振りがうかがえます。

5期連続出場した甲子園のヒーロー

エースの怪我により東東京予選から出番が回ってきた荒木は予選に好投。甲子園ではいきなり先発の大役を任されます。初戦の北陽戦を完封するとその後も波に乗った荒木の活躍でチームは決勝に進出。

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決勝では愛甲猛を擁する横浜高校に敗れましたが、この準優勝で一気に大輔人気は過熱しました。その後も甲子園に連続出場を続けましたが、最も印象に残っているのが3年夏、甲子園最後の試合。徳島の池田高校にメッタ打ちにされ14点を奪われた試合です。荒木が打たれた、というショックも大きかったですし、池田高校のパワフルな打撃に、甲子園の歴史が変わったとさえ感じました。

プロ入り、そして指導者へ

プロではヤクルトに入団し、3年目から主軸として活躍。1987年には10勝を上げましたが、その後怪我で低迷します。そして肘の手術を経て1992シーズン終盤、ついに復活のマウンドへ。「ピッチャー荒木」のアナウンスを聞いたときには目頭が熱くなりました。この年は日本シリーズでも勝利を挙げ、翌年も8勝を上げましたが、プロとしてはエース級と呼ばれるような活躍はできませんでした。引退後は指導者への道を歩み始めた荒木大輔。西武、ヤクルトのコーチを経て日本ハムの二軍監督へ。今度はプロの世界で自身よりも活躍する真のエースを育て上げてもらいたいものですね。”

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